Odyssey102’s diary

考え過ぎた時の研究発表。思いつきの結果発表。音楽や楽器や練習法などの個人的見解。辛口だけど正直がモットーのBlog

マンガに対する抵抗感

先日、ツアー中に俺がキルケゴールシェイクスピアマキャベリ漱石太宰治などを漫画で読んだと言ったら情報源sorceが漫画である事について先輩から揶揄された。

 

それに対する自分の言い分としては、

文学として文章の持つ色気を味わう事は出来ないけれど、まあ結局、外国文学は大半翻訳されるわけだし(もちろん翻訳家の苦労はリスペクトしているが)

名作として世に残った作品集のあらすじ、ストーリー自体を知るのも悪くないかと。

 

1.本のタイトルだけで水戸黄門の印籠のように「は、はぁー」となりがちだったが、

2.雑学としていやらしく知識をひけらかす輩になりたくないだとか、アクセサリーのように恰好をつけるようだとか、いわゆる似非インテリ。

3.時間がないなど何かと理由を付け、旧字で書かれていたり、カタカナの長く覚えにくい登場人物がでてくる分厚い本を避けてきたわけで、。学校のテストで必要なのはタイトルと作者名くらいまでだった。

 

 

「なんか響きはかっこよいのだが、難解そうなので敷居が高く、ワザワザ足を踏み入れなくても生きていけるもの。」

というのは、

多くのジャズを普段聴かない人から訊く「JAZZという音楽の印象」で十分に懲り懲りしてる。

1.当然中身にこそ真髄がありアラスジ、ストーリーだけでも知る必要性があるとおもう。
なぜなら良くも悪くも名作として残してきているものだから。実際読んでみると納得します。

ドストエフスキーなんか寒いロシアの暗いイメージがあったり、長ったらしい馴染みのない響きの登場人物の名前だけで読む気をなくしてしまっていたのだが、storyが抜群にオモシロイ。火曜サスペンス劇場の100倍くらい。ハードボイルドだし、

作品の中には重要なメッセージが書かれていて、人類の先輩方が残したものを取りあえず知り、参考にしたり反省したりそれについて話し合ったりする。

 

2.あくまで他人は他人だが、気づいているならそうならないように自身で注意する。そういう目的を全否定しなくてもよいとおもう、あくまで他人(ひと)は他人(ひと)。自分で作った壁なだけかもしれなこい。どこかに読んじゃいけない理由あるのだろうか?

 

3.実際、日常生活を送っていて専門家か、よほど好きでないと本を読む時間をつくるのはたいへんだ。ただ、活字で多くの作品を短時間で読むのは大変だが、マンガならできる。人生に残された時間を考えて自分はマンガを選らんだ。実際、新渡戸稲造の武士道などは本で読んでいたし、深く知りたくなったら活字も手にするだろう。

 

世界中いつの時代でもだれもが歓喜し苦悩してきたというEvidenceを時間や国境を超えて感動を共有する。

 

こうなったらジャズを聴く人を増やすにはマンガ化も必要なんだろな。
どーやったらよいんだろうか?


世界中いつの時代でもだれもが歓喜し苦悩してきたというEvidenceを時間や国境を超えて感動を共有する。2013.6.3月曜日